世界史の中の結婚と家庭の物語(5)local_offer世界史の中の結婚と家庭の物語
藤森和也
アメリカを導いた偉大な夫婦
ジョージ・ワシントン
1776年7月4日、北アメリカの大陸会議で、13の植民地が正式にイギリスからの独立を宣言しました。これがアメリカ合衆国の始まりです。その後、本格化したイギリス本国との独立戦争(1775~1783)で、大陸軍の指揮官を務めたのがジョージ・ワシントン(1732~1799)でした。彼は、独立戦争を勝利に導き、合衆国憲法制定会議の議長も務めます。そして、1789年4月30日、ニューヨークのフェデラル・ホールで開催された就任宣誓式で、アメリカ合衆国の初代大統領に就任。2期8年間(1789年4月30日~1797年3月4日)にわたる在任期間で国家の基礎を築いたことから、「アメリカ建国の父」と称され、その名声は不動のものとして歴史に刻まれています。
彼の人生観で特筆すべき点は、宗教・道徳に関する考え方です。1796年に発表した「辞任挨拶」では、「政治を成功に導くあらゆる性向や習慣の中で、宗教と道徳は欠くことのできない支柱である」と語っています。彼にとって宗教と道徳は、単なる個人的な信念ではなく、政治的な繁栄を支えるものでした。さらに、「人類の幸福の偉大な柱であり、人々と市民の義務を支える最も確固たる支柱」と述べ、社会全体の基盤と考えていたのです。
中でも、司法制度について「宗教的義務感が法廷での調査手段である宣誓から失われたとき、財産、名誉、生命の安全はどこにあるのだろうか」と問いかけています。裁判での証言や宣誓が、神への誓いに基づいている以上、宗教的な良心なしに正義は成り立たないと言っているのです。
また、宗教なしに道徳を維持できるという考えにも疑問を呈しています。一部は教育によって道徳的でいられるかもしれないが、理性や経験に照らし合わせてみると、国民全体の道徳は宗教基盤無くして長続きしないと主張しました。
このように、ワシントンは宗教を公共道徳の基礎になるものと確信し、宗教の重要性を強調したのです。
宗教の軽視は道徳の崩壊を招く
2026年に、アメリカは建国250年を迎えます。この間、宗教の自由を掲げる民主主義国家として、驚くべき躍進と発展を遂げてきました。第二次世界大戦後は世界の政治、経済、軍事を主導する超大国の力を見せつけてきました。
しかし、アメリカは同時に、欧州から入り込んだ神なき世俗主義、文化共産主義の洗礼を受けて、世俗化が進みました。特に、1960年代から爆発的に広がった「性解放運動」は、道徳の基礎を揺るがし、性倫理の崩壊は、宗教的価値観を無力化する要因となりました。宗教の価値を道徳の根幹と考えていたジョージ・ワシントンの精神に、アメリカは帰らなければなりません。
ジョージ・ワシントンの結婚と家庭
ワシントンは1759年1月6日に、裕福なプランテーションのオーナーであるダニエル・パーク・カスティスの未亡人、マーサ・ダンドリッジ・カスティスと結婚しました。その後、2人は、ワシントンが所有するプランテーションがあるマウントバーノンに移り住みます。そこでは、上流階級の農園主として、人々と政治的な関わりを持ちながら生活を送りました。
ワシントン夫妻には子供ができませんでしたが、マーサには、先夫との間に生まれたジョン・パーク・カスティス(ジャッキー)とマーサ・パーク・カスティス(パッツィー)という子供がいました。ワシントンは、この2人を実の子供のように愛情をもって育てました。後に、ジャッキーが病気で亡くなると、その子供である、エレノア・パーク・カスティス(ネリー、1779年~1852年)とジョージ・ワシントン・パーク・カスティス(ワシー、1781年~1857年)を養子に迎えて育てています。
ワシントン夫妻の家庭生活は愛情に満ちていて、豊かな幸せに包まれていました。マーサは政務に追われる夫をよく助けました。妻の支えがあってこそ、ワシントンは大統領という大きな職務を果たすことができたのでしょう。アメリカは、偉大な夫婦によって、大いなる国家として築かれていったのです。
【参考資料】『アメリカ革命』上村剛著、中央公論社、『ワシントン:共和国の最初の大統領』中野勝郎著、山川出版、『大統領でたどるアメリカの歴史』明石和康著、岩波書店