機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」世界史の中の結婚と家庭の物語(6)

世界史の中の結婚と家庭の物語(6)local_offer

藤森和也

愛の絆を断絶させてはならない

第16代大統領エイブラハム・リンカーン

Abraham_Lincoln

エイブラハム・リンカーン(1809~1865)は、アメリカ合衆国の第16代大統領です。奴隷解放を実現した彼は「偉大な解放者」とたたえられ、今日でもアメリカで「最も尊敬される大統領」として親しまれています。

リンカーンは、ケンタッキー州の貧しい家庭に生まれました。若いころは、川船乗り、雑貨商、郵便局長などさまざまな仕事を経験します。1834年、ホイッグ党の候補としてイリノイ州議会議員に当選し、政治の道へ進みました。

この間、独学で法律を学び、1836年に弁護士資格を取得。イリノイ州のスプリングフィールドに法律事務所を構え、貧しい人々に対しても誠実な弁護をしたことから、「正直者のエイブ(Honest Abe)」と呼ばれるようになりました。

1850年代に入ると、奴隷制度を巡り、アメリカ合衆国の北部と南部で対立が生じます。奴隷制度の拡大について、南部はこれを支持し、北部は反対しました。1852年に出版されたハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』が世論を動かし、奴隷制反対運動が盛り上がる一方、拡大派の勢いも強くなり対立はさらに深まります。この動きに危機感を覚えたリンカーンは、奴隷制拡大に反対する立場を鮮明にし、1856年、新たに結成された共和党に参加しました。

奴隷制の拡大阻止を訴える演説で注目を集めたリンカーンは、共和党から大統領候補に指名されて立候補すると、1860年11月の選挙で当選。第16代アメリカ大統領となりました。ところが、南部の諸州が合衆国からの離脱を宣言し、1861年には南北戦争が勃発。リンカーンは最高司令官として戦争を指揮し、国の統一を守るために尽力します。

戦争の初期は南部が優勢でしたが、リンカーンは1862年に、開拓者が一定の条件を満たせば土地を無償で所有できるようにした「ホームステッド法」を制定し、西部の農民から大きな支持を得ました。同年9月には「奴隷解放宣言」の予備布告を発表し、翌年1月1日に正式に施行。奴隷制度の廃止を明確な戦争目的とすることで、国内外の支持を広げました。

1863年7月、北軍はゲティスバーグの戦いで勝利を収め、戦況を大きく転換させます。同年11月、リンカーンはこの激戦地で「人民の、人民による、人民のための政治」という有名な演説を行い、民主主義の理念を改めて示しました。

1864年、大統領に再選を果たすと、翌1865年4月9日に南軍が降伏。ついに戦争が終結します。しかし、その5日後の4月14日、南部支持派の俳優ジョン・ウィルクス・ブースによって暗殺されました。

独立宣言の原則に立つ

リンカーンが共和党の設立に加わった理由は、建国の基本理念である「すべての人は平等につくられている」という独立宣言の原則を守るためでした。1858年6月、彼はスプリングフィールドでの共和党州大会で「分かれたる家は立つこと能わず」という演説を行います。その中で彼は、聖書のマルコによる福音書3章25節「家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう」を引用し、「半ば奴隷(黒人は奴隷)、半ば自由(白人は自由)の状態で、この国家が永く続くことはできないと私は信じます。私は連邦が瓦解するのを期待しません。……私の期待するところは、この連邦が分かれ争うことをやめることです」と述べ、国家の分裂を望まない心情を吐露しました。

また、大統領就任演説で「われわれは敵同士ではなく、友であります。われわれは敵であってはなりません。たとい感情の緊迫はあったとしても、それでもわれわれの愛の絆を断絶させてはなりません」(『リンカーン演説集』より)と訴えています。南北に分かれて闘う状況にあっても、愛の絆を断絶させてはならないというリンカーンの言葉は、アメリカの統一と和解をもたらすものでした。

リンカーンの結婚生活

奴隷制廃止を実現したリンカーンは、どのような結婚をして、どのような家庭を築いたのでしょうか。

妻のメアリー・トッド・リンカーン(1818~1882)は、ケンタッキー州の裕福な家系の出身で、当時としては高い教育を受けた女性でした。スプリングフィールドでリンカーンと出会い、1842年に結婚します。質素なリンカーンとは対照的に、社交的・派手な性格で、夫婦間では意見の衝突も多かったようです。一部では「悪妻」だったのではないかという評価もありますが、調べてみると実際には違った一面も見えてきます。

南部の名門家庭だったメアリーは、実家に何人もの奴隷がいて、炊事や洗濯といった家事労働とは無縁の生活を送っていました。それにもかかわらず、夫と同じく奴隷制や国の分裂に強く反対する立場をとったのです。二人の間には4人の息子が生まれましたが、長男以外の3人は若い時期に亡くなりました。

ちなみに、映画俳優のトム・ハンクスはリンカーンの遠い親戚であり、系譜をさかのぼると17世紀後半から18世紀前半に生きたジョン・ハンクスという共通の先祖に行き着くことがわかっています。

【参考図書】『リンカーン演説集』(リンカーン著、高木八尺訳、岩波文庫)、『アメリカの歴史3 ヴァン・ビューレンの時代―南北戦争 1837―1865年』(サムエル・モリソン著、西川正身監修、集英社文庫)