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家庭問題トータルカウンセラー 松本 雄司
家族文化を取り戻そう
”年賀状”という慣習の変化
年が明けてから早ひと月ですが、皆様は正月をどうお過ごしになりましたか。
わが家では年末に大掃除をして、元日は家で家族と共に過ごし、年賀状の返信を書いたり、ラインで送られてきた年賀挨拶に返信したりして過ごしました。
年末に郵便局に行った時、職員の一人が「年賀状の売れ行きが良くない」と嘆いていました。私たちの若い頃は年賀状を書くのが社会人の常識でしたが、最近は年賀状を書く人が少なくなり、ラインでスタンプ画像を送ったりして挨拶を交わしています。確かに、手間も時間も経費も掛からず効率的でしょう。
少し寂しい気もしますが、時代の変化と共に挨拶の形式は変わって良いかと思います。大事なのは人間関係が希薄になっている現在、家族や親戚や友人との交流をいかに深め、良き人間関係を築いていくことができるかだと思います。
”年始回り”という伝統文化
コロナ禍が続いたこの数年間、私も年始やお盆の親戚訪問は控えてきましたが、昨年から人の往来も平常化してきたので、今年は親戚に年始回りをしました。
1月2日は同じ大分市内に住む姉夫婦の家に子供と孫たちを連れて訪問し、一緒におせち料理を食べながらくつろいだ時間を過ごしました。
3日は、7年ぶりに会う母方のいとこ夫婦の家に訪問して歓談しました。
4日は私の生まれ故郷の町に行き、父方のいとこの家と、母方のいとこの家2軒とを訪問して楽しい時間を過ごし、家に帰り着いたのは夜の10時頃でした。
私は訪問したら、まず神式でも仏式でも先祖の祭壇の前に行って手土産を供えてお祈りし、それから居間で家族の人たちと食事をしたりお茶を飲みながら談笑します。
小さい頃、私をかわいがってくれたおじやおばは既に他界したので、今はその子供たち、つまり、いとこ達との交流を大切にしています。
子世代、孫世代につなぎたい親戚付き合い
以前は、私も単身か夫婦で親戚を訪問していましたが、今はできるだけ子供や孫たちも一緒に連れて行くようにしています。なぜかというと、私の亡き後も、子供や孫が少しでも親戚と交流を続けてほしいという気持ちがあるからです。
正直に言って、若い時は親戚の大切さもよく分かっていませんでしたが、歳を重ねるにつれて、「家族がいる」「親戚がいる」ということがいかにありがたいことであるかということを感じるようになりました。
特に、カウンセリングを通して、多くの人たちの人生模様を見てきた経験から、家族や親戚との交流がいかに大事であるかということを痛感したのです。
「家族・親族がいない」、あるいは「いても交流がない」ことがいかに寂しく、悲しい晩年生活に繋がっていくかという実状を目の当たりにしてきたからです。
孤独死の増加と日本の行く末
戦後、日本では経済的繁栄の裏で、個人主義が拡大し、家族主義が軽視されました。その結果、現在は「単身世帯」が増え、「孤独死」が年々増えています。
孤独死で発見され、遺体を引き取る親族が見つからない場合は自治体が火葬しますが、遺骨の引き取り手もいない無縁者が増えているのです。それを少しでも減らすための対策に、全国の自治体が頭を悩ませているという現実があります。
結婚しなかった。結婚したが離婚した。親子関係が疎遠だった。親族との交際をしなかった…等々、様々な原因がありますが、「結婚を重視し、家族を大切にし、親戚付き合いをする」という最も基本的な常識の欠如が根底にあります。
この問題は個人の悲劇ではおさまりません。民族や国家の興亡につながります。
繁栄を謳歌し1200年続いたあの大ローマ帝国でさえも、個人主義のまん延、青少年の放縦、性の乱れ、結婚と家庭倫理の喪失、少子化、奢侈(しゃし)産業・娯楽産業の肥大化、労賃の高騰とつらい職場の忌避、それに伴う外国人労働力の流入と傭兵への依存…等々で国は弱体化し、民意迎合の放漫政治でついには財政破綻。そんな末期的症状の帝国はゲルマン民族の侵入であえなく滅亡してしまいました。
日本やアメリカが同じ轍(てつ)を踏まないかと危惧するのは私の考え過ぎでしょうか。
家族・親戚との交流を大切にしよう
年始の挨拶、お盆の墓参りなどの伝統は年々形骸化しつつありますが、その形は変わっても良いけれど、「家族や親戚との関係を重視し、交流や助け合いを大切にするという伝統」は堅持すべきだと思います。
遠くにいる家族や親戚とは、年賀状や電話やラインでもよいので、年に数回は交流しておきましょう。そして、近くにいる家族や親戚とは、できるだけ多く行き来して交流を深め、万一の時に助け合える関係を築くことが大切だと思います。