日本人のこころ〈99〉local_offer日本人のこころ
ジャーナリスト 高嶋 久
正岡子規(中)
夏目漱石の下宿に同宿
子規が「春や昔十五万石の城下哉」と詠んだように、松山市は伊予松山藩の城下町でした。同藩は関ヶ原の戦いで徳川家に味方した加藤嘉明が20万石でつくり、それを蒲生氏が継ぎます。蒲生氏が断絶すると、1635年に伊勢国桑名藩から松平定行が15万石で入封し、明治維新まで続きました。
伊予松山藩は徳川親藩なので幕末には幕府方につき、特に長州征討では先鋒を任されて財政難に陥り、1868年の鳥羽・伏見の戦いに藩兵を出したので、朝敵として追討されるようになります。その後、城内は討幕派への恭順論と抗戦論が対立しますが、結局、戦わずに城を明け渡し、明治になると土佐藩の占領下に置かれ、長州藩閥に冷遇されます。1867年に子規が生まれた松山は、そんな悲惨な時代でした。
子規の父は藩士の正岡隼太常尚で、母の八重は藩の儒学者である大原観山の長女でした。しかし、幼くして父が亡くなったために家督を相続し、大原家と叔父の加藤恒忠の後見を受けます。外祖父の観山の私塾で漢学を習い、漢詩や戯作、軍談、書画などに親しむようになります。長じると、自由民権運動の影響を受け、政談に熱中することもありました。
子規と秋山真之(さねゆき)は旧制松山中学の同級生で、二人は前後して上京し、受験英語のために共立学校に入学します。子規は翌年、東大予備門(今の東大教養学部)に入学し、帝国大学哲学科に進学しますが、文学に興味を持ち、国文科に転科します。東大予備門では夏目漱石や南方熊楠(みなかたくまぐす)と同窓になります。この頃から、「子規」を俳号とし、盛んに俳句を作り始めました。
大学を中退した子規は陸羯南(くがかつなん)が発行する新聞『日本』の記者になり、家族を呼び寄せます。明治26年から新聞に俳句の記事を連載し、俳句の革新運動を始め注目されるようになります。芭蕉の時代から俳句は人々の間に広まり、国民文芸としての大きな需要があったのです。
明治27年夏に日清戦争が勃発すると、気分を高揚させた子規は志願して近衛師団つき従軍記者として遼東半島に渡りますが、上陸した2日後に講和のための下関条約が調印されたため、帰国の途につきます。ところが、船中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院。須磨保養院で療養したのち、松山に帰郷しました。
子規は松山で旧制松山中学(今の松山東高校)の英語教師だった漱石の下宿に同宿して、江戸時代からの俳句の分類や与謝蕪村研究で俳句の革新に挑み、仲間を集めて句会を開くようになります。漱石が俳句を始めたのも、子規に誘われたからで、弟子の高浜虚子のすすめで俳句雑誌の「ホトトギス」に小説「吾輩は猫である」を連載するようになりました。
子規は新聞『日本』に連載した「歌よみに与ふる書」で形式にとらわれた和歌を非難し、短歌の革新にも取り組むようになります。子規が始めた根岸短歌会は、その後、短歌結社「アララギ」に発展しました。
しかし、子規の病状は悪化し、床に伏すことが多くなります。それでも俳句や短歌を書き続け、高浜虚子や伊藤左千夫らに指導をしました。『病牀六尺』には暗い気持ちは書かれず、死に臨む自分の体と精神を客観的に記録しています。そして明治35年、34歳で亡くなりました。
写生主義
子規は帝大国文科に入ってから、膨大な俳句の分類に取り組みます。その中で芭蕉の弟子たちが月並みな俳句しか作れないことを発見し、俳句の革新に本腰を入れるようになったのです。それは、明治25年頃のことで、圧倒的な西洋文明の影響を受けた日本人が、新しい日本語を探し求めるようになった時代と重なります。坪内逍遥や夏目漱石ら、当時の文人たちによる日本語の革新が、俳句の革新と並行して起こっていたのです。子規は、連句の伝統を継ぐ俳諧の「発句」を「俳句」と呼び、独立させることで、仲間内だけでなく、広く理解できる日本語の短詩を目指します。
そして、子規が出会ったのが与謝蕪村です。蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」と芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」を比べると、蕪村の句が写実的で迫力があります。当時、近代文明の影響から実証的な傾向が強まり、言葉にも写生的姿勢が求められるようになっていました。つまり、今自分が見ている風景や現象を、リアルに伝える言葉が重視されたのです。子規も友人の画家の影響を受け、俳句に写生を取り入れていきました。
芭蕉以降の俳諧が子規に「月並み」と批判されるようになったのは、弟子たちが芭蕉を神聖視し、似たような句しか作らなくなったからです。これは日本人の一般的傾向で、他の分野でもよく見られます。ですから、どの分野でも時折、「革新」が求められるのです。子規のもとには高浜虚子や河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)ら優れた才能の若者が集まり、それぞれ師を乗り越えながら、新しい俳句を創造していくようになります。