芸術と家庭・・・文学編(33)local_offer芸術と家庭
長島光央
人間としての「真実の姿」
トルストイの『イワンの馬鹿』
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった傑作で知られるレフ・トルストイ(1828~1910)は、帝政ロシア時代の小説家であり、思想家でもあります。彼が1885年に執筆し、翌1886年に発表した作品『イワンの馬鹿』は、小品ながら世界中で広く読まれてきました。
あらすじを紹介します。昔ある国に、軍人のセミョーン(シモン)、肥満のタラース(タラス)、そして「馬鹿」と呼ばれるイワンの三兄弟と、耳が不自由で口のきけない妹マラーニャ(マルタ)が暮らしていました。セミョーンは王様に仕えて戦争に行き、タラースは商人となって家を出ていましたが、イワンとマラーニャは家に残って両親の世話をしていました。やがて、二人の兄がさらに財産を求め、父のもとを訪れます。「財産を分けてくれ」と頼む兄たちに対して、イワンは何の疑問も持たずに分け与えるほどのお人よしでした。
この様子を見ていた年老いた悪魔は、兄弟が財産を巡って争うことを期待していたのに、そうならなかったので腹を立てます。そして、三人の小悪魔を呼び、兄弟の仲を裂く計画を立てました。小悪魔たちは、セミョーンを戦争で敗北させ、タラースを一文なしにし、イワンにも腹痛を起こさせたり鋤(すき)を壊したりと妨害を始めます。しかし、イワンは「馬鹿」と言われるほどまじめな性格だったので、何をされても気にせず、逆に小悪魔たちを追い払ってしまいました。
その際、小悪魔たちは、どんな病気も治す木の根や麦わらを兵隊に変えたり、樫(かし)の葉から金貨を作ったりする方法をイワンに教えました。それを知った二人の兄たちは、イワンに兵隊とお金を作らせて成功し、王様になります。イワンもまた、病気の姫を治したことをきっかけに国王となりました。
小悪魔たちが失敗したことで、年老いた悪魔は自ら行動に出ます。再びセミョーンを戦争で負けさせ、タラースを無一文にし、イワンの国にも乗り込んできました。しかし、そこに住む国民たちは、イワンと同様、正直で働き者だったので悪魔の思い通りになりません。戦争を仕掛けても抵抗せず、金貨で誘惑しても興味を示さず、首飾りやおもちゃにしてしまいました。
困り果てた悪魔は、「手で働くよりも、頭を使って働いたほうが得をする」と高い塔から演説をします。しかし、国民は誰も話を聞きません。数日間話し続けた悪魔は疲れ果て、塔から転げ落ちて地面の割れ目に吸い込まれていきました。
その後、イワンの国には多くの人が集まるようになり、助けを求めてやってきた兄たちも受け入れます。ただ、イワンの国には一つの習わしがありました。それは、「手にまめがある人は食事の席に着かせてもらえるが、そうでない人は他の人の残りものを食べなければならない」というものでした。
どんな生き方が良いのか
この物語はいったい何を伝えようとしているのでしょうか。イワンのことをわざわざ「馬鹿(Ivan the Fool)」と呼んでいますが、話を読み進めると賢そうに見える兄たちは失敗を重ね、悪魔たちにも簡単にだまされます。一方、イワンは黙々と畑を耕し、正直に生きているため、悪魔たちの策略にも動じず、最後までだまされませんでした。
長男のセミョーンは軍人で、権力主義的かつ戦いが好きなタイプ、次男のタラースは商人でお金をこよなく愛する資本主義の象徴のような人物です。それに対してイワンは、戦争を嫌い、金銭にも執着せずに、ただ鋤と鍬(くわ)で土を耕し、作物を育てることに喜びを見いだしています。トルストイは、イワンの生き方にこそ、人間としての「真実の姿」があると考えていたようです。
トルストイの家庭と末裔(まつえい)
1862年、トルストイは34歳で18歳の女性ソフィアと結婚し、夫婦の間には13人の子供が生まれました。幸せな結婚生活の中で世界文学史に残る傑作を次々と生み出していきます。
妻のソフィアは「悪妻」と評されることもありますが、それは一面的な見方かもしれません。晩年のトルストイは、利害を超越し、すべてを与え尽くすような原始キリスト教的生活を志すようになり、家庭を顧みず社会活動に没頭しました。たくさんの子供や孫の世話を担わざるを得なかったソフィアが、夫を理解しきれなかったとしても無理はないでしょう。
トルストイの子孫には、世界的に活躍する人物が多くいます。彼の生き方は、言葉を超えて、作品を目にした末裔たちに深い影響を与えていると思わざるを得ません。
【参考資料】『イワンの馬鹿』レフ・トルストイ著、小宮由訳(KTC中央出版) 『トルストイの散歩道2 イワンの馬鹿』レフ・トルストイ著、北御門二郎訳(あすなろ書房)