機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」世界史の中の結婚と家庭の物語(2)

世界史の中の結婚と家庭の物語(2)local_offer

藤森和也

世界初のプログラマー

詩人バイロンの娘

Ada Lovelace

20世紀後半から21世紀にかけて、コンピューターやインターネット、そしてAI(人工知能)などの先端技術が著しいスピードで進化しています。こういった科学技術の基礎には数学があり、特に計算の技術が大きな役割を担っているのです。

19世紀のイギリスを代表するロマン派の詩人に、バイロン卿(ジョージ・ゴードン・バイロン、1788~1824)がいます。バイロンは多くの女性と恋をし、自由奔放な人生を送りましたが、1815年にアナベラ・ミルバンクと結婚します。二人の間に生まれたのが、エイダ・ラブレス(1815~1852)です。

バイロンと妻のアナベラは性格が合わず、1年ほどで離婚したため、エイダは母の下で育ちました。その容貌は父に似て非常に美しかったと言います。

詩人を父に持つ人物としては意外に思えるかもしれませんが、彼女は優れた数学者でした。そして、IT時代となった現代に再び注目され、世界初のコンピューター・プログラマーとして知られるようになりました。

母のアナベラには高い教養があり、数学への造詣が深かったため、エイダに幼少期から科学と数学教育を施します。そこには、父親のようになってほしくないという思いがあったのでしょう。やがて彼女は、数学者として自身のキャリアを確立していきました。

バベッジとの運命の出会い

1833年、17歳のエイダは母とともに、数学者チャールズ・バベッジ(1791~1871)の家を訪ねます。バベッジは当時、機械式計算機である「階差機関」を開発していて、エイダはその革新的なアイデアと機械の説明に魅了されてしまいました。以後、二人は師弟のような関係となり、エイダはバベッジから多くの教えを受けるようになります。

バベッジは「階差機関」のほかに、さまざまな計算に使える「解析機関」という汎用計算機を構想していました。それは、現代のコンピューターと非常によく似た構造を持つものでした。エイダの本領が発揮されたのは、1842年にイタリアの数学者ルイージ・フェデリコ・メナブレアが記した解析機関に関する論文を翻訳し、独自の注釈を加えたときです。この注釈には、解析機関で実行可能な計算方法が記されており、これが「世界初のコンピューター・プログラム」として歴史に刻まれました。

詩的な科学者

エイダは、自らの考えを「詩的な科学(poetical science)」と称しています。彼女は、父バイロンの詩的才能と自身の持つ数学的スキルは互いに対立するのではなく、一緒に機能すると信じていました。「例えば、これまで音楽学の和音理論や作曲論で論じられてきた音階の基本的な構成を、数値やその組み合わせに置き換えることができれば、解析機関は曲の複雑さや長さを問わず、細密で系統的な音楽作品を作曲できるでしょう」と述べています。

芸術的な創造性と科学的論理性の融合といった彼女のユニークな視点は、現代そのアイデアが実現に向かっていることを見ると、200年前に時代を先取りする先見の明があったことを証明しています。

エイダの結婚と家庭

ゲーテが「今世紀最大の天才」と称賛したエイダの父、バイロン。この父娘はそれぞれ、どのような結婚または家庭生活を送ったのでしょうか。

バイロンと最初の妻アナベラは、すぐに離婚したため、エイダはほとんど父を知らずに育ちました。1835年、20歳の時にウィリアム・キングと結婚したエイダは、ラブレス伯爵夫人となり、3人の子供をもうけました。日常の中で子供たちの面倒を見ながら、時間を見つけては机に向かって計算や論文作成に没頭する彼女の姿が想像されます。

父のバイロンは情熱家で、ギリシア独立戦争にも加わりましたが、熱病にかかって36歳の若さでこの世を去りました。娘のエイダも不幸にして子宮がんを患い、1852年11月27日、これまた36歳の若さであの世に旅立ちました。天才的な才能を持った父と娘の短い人生は、何か目に見えない運命の糸でつながっていたのでしょうか。

【参考資料】『世界でさいしょのプログラマー―エイダ・ラブレスのものがたり』フィオナ・ロビンソン著、せなあいこ翻訳 評論社、『思考のための道具異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?』ハワード・ラインゴールド著、栗田昭平監訳 パーソナルメディア