世界史の中の結婚と家庭の物語(3)local_offer世界史の中の結婚と家庭の物語
藤森和也
歴史の背後に女性あり
フランスの絶対王政
フランスの近世歴史で、ブルボン朝(1589~1792)の時代は極めて重要です。この王朝はナント勅令を出したことで有名なアンリ4世から出発しましたが、その後は「ルイ」という名の王が続いたため、「ルイ王朝」とも呼ばれています。有名な王と言えばルイ14世(在位1643~1715)ですが、続くルイ15世(在位1715~1774)、ルイ16世(在位1774~1792)も良かれ悪しかれ、話題の多い王で、小説や映画などにうってつけの題材を提供してくれます。
ルイ14世は絶対王政の強化と領土拡大を目指し、諸国への侵略戦争を繰り返した好戦的な王でした。彼が統治した時代はフランス絶対王政の全盛期で、その象徴とも言えるヴェルサイユ宮殿を建造して宮廷を移しました。ヴェルサイユ宮殿を中心に華やかなバロック宮廷文化が花開いたわけですが、一方ではそれが財政をひっ迫させる要因ともなりました。ルイ14世が語ったとされる「朕は国家なり」という有名なセリフは、実際は創作ではないかと言われていますが、絶対王政を確立した彼の権威を象徴した言葉であることは間違いありません。
次に王となったルイ15世は、ルイ14世のひ孫です。彼の治世では、優れた政治家であるフルーリー枢機卿が王から信任を受け、統治していた時期(1726~1743)は安定的に繁栄を維持しました。しかし、フルーリー没後、王自らが政治を行う親政期に入ると、ポーランド継承戦争やオーストリア継承戦争への参戦などがたたり、財政難になります。しかも、七年戦争では北米大陸の権益を失い、国家の衰退を招きました。また、この時代、ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーらがフランスのサロンで活躍しました。啓蒙思想と呼ばれる彼らの思想はヨーロッパ中に広がり、後に起こるフランス革命に大きな影響を与えました。
ルイ15世の孫であるルイ16世は、1774年に19歳で即位しました。フランスの財政は前々王の時からすでに悪化していましたが、彼の時代にとうとう破綻の危機に瀕しました。ルイ16世はそれまで特権階級であった貴族や聖職者にも課税しようとして、1789年に全国三部会(フランス国内の三つの身分の代表者が議論する場)を召集しましたが、議会は紛糾し、実質的な解決策が提示されることはありませんでした。むしろ、それが契機となって、第三身分(平民)を中心とする国民議会が結成され、そこからフランス革命へと一直線に突き進んでいきます。フランス革命は10年間続き、混乱が続く中、1792年に遂に王権が停止され、国民公会によって王政が廃止されました。そしてその翌年、ルイ16世は処刑されます。
国政にも影響を与えた公妾
ブルボン朝には「公妾」と呼ばれる制度がありました。カトリックの秘跡の一つである「結婚の秘跡」に反するため、側室制度を置くことができなかったヨーロッパでは、このような制度を作り、公式的に王の愛人に生活費や活動費を出したのです。特に、フランスの公妾は社交界に顔を出し、政治に対して影響を与えることもありました。従って、公妾は国王の寵愛(ちょうあい)を受けるだけでなく、豊かな見識と判断力も要求されるため、実力のある女性しかなれなかったと言います。
政治に多大な影響を与えた公妾の代表は、ルイ15世の治世に活躍したポンパドゥール夫人です。彼女はブルジョワ階層出身であったため、人々からは不評を買いましたが、王は知性と教養に溢れた彼女を愛し、信頼しました。ポンパドゥール夫人は、あまり政治に興味のない王に代わって、積極的に国政に関与しました。オーストリアの女帝であったマリア・テレジアと通じ、敵同士であったオーストリア・ハプスブルク家とフランス・ブルボン家の間に同盟を成立させた(外交革命)のも彼女の働きによるところが大きいと言われています。両家に同盟関係が成立したことで、テレジアの娘であるマリー・アントワネットがルイ16世の妃となったわけですから、ポンパドゥール夫人が歴史に与えた影響は小さくないと言えます。
王家の愛の歴史は国の運命を左右
ブルボン朝では公妾が政治に関与しましたが、王妃もまた別の意味で国政に影響を与えました。王の婚姻は国同士の関係が絡んだ「政略結婚」だったのです。ルイ14世には他に愛する人がいましたが、国の事情でスペインの王女であるマリー・テレーズ・ドートリッシュと結婚しました。二人の間には6人の子が生まれたものの、王が彼女に深い愛情を注いだわけではなく、子供たちも長男以外は夭逝しています。ルイ15世は元ポーランド王の娘であるマリー・レクザンスカを妻として迎えました。彼は王妃に愛情を注ぎ、10人の子をもうけます。しかし、彼女が毎年のように妊娠していたこともあり、公妾を持つようになりました。ルイ16世の妻となったマリー・アントワネットがたどった数奇な運命は、映画や舞台、小説などで多く取り上げられています。彼女がフランス革命の荒波に飲まれ、処刑という悲惨な最期を迎えたことはご存じの方も多いでしょう。
王家の結婚や家庭は、一般の人々のそれとは全く違った様相を呈します。外交や社会制度、政争、財政などのさまざまな国情に振り回され、純粋に愛を求め、深めることもままならない王家の人々はかわいそうな立場だと感じざるを得ません。フランスの近世歴史は、結婚と家庭、男女の愛の問題が国家の運命までも左右してしまうという典型的な例だと言えるかもしれません。
【参考資料】『図説ルイ14世』佐々木真、河出書房新社/『ルイ15世:ブルボン王朝の衰亡』G・P・グーチ著、林健太郎訳、中央公論新社