機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」日本人のこころ〈100〉

日本人のこころ〈100〉local_offer

ジャーナリスト 高嶋 久

正岡子規(下)

『病牀六尺』

山手線の鶯谷駅北口から歩いて5分ほどのところに、正岡子規の終(つい)の棲家となった「子規庵」があります。現在の子規庵は、戦災で焼失したものを戦後、再建したものです。

子規は21歳で結核にかかり、やがて背骨まで結核菌に侵される脊椎カリエスとなって、32歳以降は小さな庵で寝たきりになります。二間の一室、六畳の間が子規の部屋で、寝返りを打つのさえ苦しいのですが、ここが創作の世界になったのです。机の立膝の部分が切り抜かれているのは、子規の左足が病のために伸びなくなったからです。

闘病生活をしながらも、文学への情熱は冷めることなく、小さな書斎兼病床の間で句会や歌会を開き、仲間たちとその革新に取り組みました。

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。」と始まる『病牀六尺』は子規最晩年の随筆集で、不治の病で床に伏し、激痛と闘いながらも、周りの自然と社会に好奇心を持ち続けた記録が綴られています。

小さな庭には、子規の目を楽しませるために、介護していた妹の律が四季折々の草花を植え、写生を重んじた子規は、病床から見た庭の草花を短歌や俳句に詠んでいます。子規の居室の窓は障子でしたが、寝たきりの子規に外の様子がよく見えるようガラス戸に変えられました。庭には、辞世の句に詠まれた糸瓜(へちま)も植えられています。今年4月初めに子規庵を訪ねると、枯れた糸瓜が棚にぶら下がっていました。猛暑のため枯れてしまったそうです。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をととひのへちまの水も取らざりき

これが新聞『日本』に掲載された辞世の3句。「仏かな」は死後の自分を想像したのかもしれませんが、子規らしいユーモアを感じます。糸瓜水には痰切りの効能があるとされていました。数え35歳の若さで亡くなった子規の命日9月19日には「糸瓜忌」が営まれています。

子規以後の俳句

子規の没後、新聞『日本』を受け継いだのが河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)で、雑誌『ホトトギス』は高浜虚子が継ぎます。私が受験参考書でお世話になった文学者の小西甚一は、「『俳句は文学の一部なり』、この一語だけでも子規は、俳句史上に燦然と輝く偉人なのである」(『俳句の世界』講談社学術文庫)と書いています。しかし、「子規の革新が、理論としてはliterature の世界をめざす写実精神に基づきながら、実作の目標としては蕪村の作品をまなんだことは、俳句革新の根底に、重大な矛盾をひそめる結果となった」とも解説します。

碧梧桐は俳句の新傾向運動を展開し、季題をなくし定型を打ち破った自由なリズムの俳句を推進しました。全国行脚で多くの賛同者を得ますが、小説に傾いていた虚子が俳壇に復帰し、保守派の立場から激しく批判すると、新傾向の俳句は次第に衰微していきます。

碧梧桐の新傾向運動に賛同した一人が荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)で、季題無用論を説き、自由律を主張し、尾崎放哉(ほうさい)や種田山頭火らを育てました。

「咳をしても一人」の句で知られる放哉は、各地を放浪した後、「海が見えるところで死にたい」と井泉水に頼み、その世話で小豆島にある西光寺の庵に身を寄せます。ここで7か月過ごし、近所の老婆や漁師の世話を受けながら41歳で亡くなりました。命日の4月7日には、西光寺で「放哉忌」が営まれています。

代表句「流れ行く大根の葉の早さかな」について虚子は、「橋の上から小川を見ていると、大根の葉が非常な速さで流れていた。その瞬間、今まで心にたまりにたまって来た感興がはじめて焦点を得て句になった」と述べています。師の子規が目指した「写生」が虚子に結実し、大衆に広がった象徴的な句で、明治の知識人が目指した新しい日本語誕生の瞬間とも言えます。後に「天地流動の一端を切り取った感じ」と解説した花鳥諷詠論は日本人の心性でしょう。

随筆で「余は平凡が好きだ」と述べた虚子は、俳諧師を「通俗なる一種の職業」とし、俳句は、「調子が平明で、切れ字があり、余意が多いのが大事」としました。全国から寄せられた大量の句を選ぶ地道な仕事が「ホトトギス」を経営的にも成功させ、大正から昭和初期の俳句人気を主導したのです。

虚子の弟子が「降る雪や明治は遠くなりにけり」で知られる中村草田男で、中国生まれですが母方の実家がある松山で育ちます。戦後、桑原武夫の俳句をめぐる「第二芸術論争」などで大きな役割を果たし、次世代の金子兜太などに多大な影響を与えました。

私が所属する自治会に草田男の弟子がいて、その人が主宰した句会が今も開かれています。自分らしい言葉を求める中で私も今年1月から句会に参加し、農作業など日々の営みや現象をもとに句作に努めています。