機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」日本人のこころ〈103〉

日本人のこころ〈103〉local_offer

ジャーナリスト 高嶋 久

夏目漱石(3) 『坊っちゃん』『草枕』

『坊っちゃん』

今回は漱石の作品の中でもよく読まれている2作を取り上げます。『坊っちゃん』は、松山中学の英語教師時代の体験をもとに描いた、漱石初期の代表作です。冒頭からユーモラスな筆致と話の展開の速さで読者を引き込みます。

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」

そんな主人公は、家族からはあきれられ、かわいがられなかったのですが、お手伝いの清(きよ)だけはいつも彼を「坊っちゃん」と呼んで、優しく見守ってくれていました。

大学を卒業した主人公は数学の教師になり、生まれ育った東京を離れ、四国の中学校へ赴任します。そこで出会ったのは、自分勝手な教師と、言うことを聞かない生徒たちでした。生徒に、天ぷらそばを4杯も食べているところを見られ、「天ぷら先生」とあだ名をつけられたり、宿直室の布団にイナゴを入れられたりします。最初の授業で主人公が江戸弁でまくしたてると、生徒が「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」というくだりで、今治出身の私の学友を思い出しました。

主人公は、教頭を「赤シャツ」、英語教師は「うらなり」など、同僚にあだ名をつけます。ある日、赤シャツがうらなりの婚約者である「マドンナ」を奪い、彼を延岡に転勤させたことを知りました。正義感の強い主人公は、赤シャツをこらしめようと数学主任の「山嵐」と計画を立てます。

いよいよ決行の日となり、2人は旅館で芸者と遊んでいた赤シャツたちを待ち伏せし、散々に殴ってこらしめました。その後、そろって学校に辞表を出し、四国を後にします。船上から遠ざかる四国を眺めながら主人公は、煩わしさから解放されたような気持ちになります。そして、東京の清のもとに戻り、2人で穏やかに暮らすのでした。

愛媛県松山市にある道後温泉は『日本書紀』によると聖徳太子も訪れた名湯で、「坊っちゃん」も温泉で泳いだのを生徒にからかわれています。道後では伊予鉄道の「坊っちゃん列車」が走っていて子供たちに人気です。

『草枕』

冒頭の「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。/住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。」は、漱石の人生観や文学・芸術観が端的に書かれています。

物語は、日露戦争のころ、山中の温泉宿に泊まった30歳の洋画家である主人公が、宿の「若い奥様」の那美と知り合い、自分を描いてほしいと頼まれる話を中心に展開します。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「もっともうつくしい所作をする」女でしたが、何か「足りないところがある」と思い、断ります。

ある日、彼は那美と一緒に満州の戦線に徴集された彼女のいとこを見送りに行った駅で、野武士のような彼女の別れた夫を見ます。発車する汽車の窓ごしに前夫を見る那美の顔に浮かんだ「憐れ」を見た主人公は、その顔なら描けると彼女に言うのでした。漱石は、「憐れみ」は最も神に近い人間の感情だと書いています。

面白いのは、友人である正岡子規に学んだ俳句論を披露していることです。

「詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、…容易に出来る。…詩人になると云うのは一種の悟(さとり)であるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。…腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。…ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏(まと)めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。これが平生から余の主張である。」

自分が感じたことや思ったことは、言葉にしないと消え去ってしまいます。言葉にすると、それを客観的に見て、第三者の目で自分を観察することができます。絵はその具象的な表現手段の一つです。そうやって繰り返し自分を見直すことが成長につながるのだと思います。ですから、自分を表現する言葉は大切なのです。

『草枕』の那美のモデルとなったのが前田卓(つな)で、熊本の自由民権運動家の父の遺産を手に上京し、孫文らが日本で作った「中国革命同盟会(のちの中国同盟会)」を支援した女性として知られています。

大河ドラマ「いだてん」の取材で熊本県玉名市を訪れた際、『草枕』の舞台になった小天温泉を訪ねたことがあります。ドラマの主人公・金栗四三(しそう)ののぼりがはためく下に、玉名市生まれの俳優・笠智衆(りゅうちしゅう)と漱石のパネルが掲げられていました。これも旅の余禄です。