機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」日本人のこころ〈105〉

日本人のこころ〈105〉local_offer

ジャーナリスト 高嶋 久

樋口一葉 『たけくらべ』

近代日本初の女流作家

樋口一葉

津田梅子の前に五千円札の肖像になった樋口一葉は、明治期の女性の振る舞いや悲哀を描いた、近代日本初の女流作家です。24年の生涯でしたが、亡くなる間際の「奇跡の14か月」と呼ばれる期間に『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの近代文学史に残る名作を残しました。明治29年、「文藝倶楽部」に掲載された『たけくらべ』を森.外や幸田露伴が高く評価しています。

一葉は東京府の下級役人の次女として生まれ、姉と2人の兄、そして妹の4人のきょうだいがいました。利発だった一葉は4歳で公立本郷小学校に入学しますが、幼すぎたため退学し、半年後に私立吉川学校に入学します。一葉は日記に、幼少期は友達と遊ぶより絵草紙などを読むのが好きだったと書き、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を3日で読破したそうです。

その後、一家は御徒町へ引っ越し、一葉は私立青海学校に転校して和歌を習います。一葉は高等科第四級を首席で卒業しますが、女は家事や裁縫を優先すべきという母の考えで、進学を諦めました。この頃、三宅花圃(かほ)が小説『藪の鶯』 で33円の原稿料を得たのを知り、小説家を志すようになります。

『かれ尾花』などいくつか小説を書いた一葉は、雑誌「武蔵野」を創刊した作家の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、『闇桜』を「一葉」の名前で発表しました。半井は東京朝日新聞主筆の小宮山佳介に一葉の作品を紹介しましたが、採用されず、一葉と半井の醜聞が広まったので、一葉は半井と絶縁します。その後、一葉は小説『うもれ木』を雑誌「都之花」に発表し、初めて原稿料11円50銭を得ました。しかし、そのうち6円は借金の返済に消えてしまいます。

その後、筆が進まない一葉は、明治26年に吉原遊廓近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開き、この時の経験が後の『たけくらべ』の題材になったのです。

翌年、同業者が近所に開店したため店を閉め、本郷に移ります。「萩の舎」から月2円の助教料がもらえるようになった一葉は、文学界に『大つごもり』を発表し、続けて『たけくらべ』や『にごりえ』、『十三夜』などを発表しました。これが「奇跡の14か月」です。

しかしこの頃、一葉は肺結核にかかっていて、回復は絶望との医師の診断でした。そして、24歳と6か月の若さで亡くなります。

少女と僧の純愛

明治28年に発表された『たけくらべ』は、吉原遊廓に近い町を舞台に、思春期の少年少女の繊細な心理を描いた名作です。あらすじを紹介しましょう。

大音寺前町の子供たちは「表町」組と「横町」組に分かれ、対立していました。横町組の長吉は乱暴者で、表町組の人気者・正太郎をやっつけたいと思っています。しかし、横町組の三五郎や太郎吉は正太郎の味方をしがちなので、長吉は学校一の秀才だった龍華寺の僧侶の息子である信如を仲間に引き込もうとします。

そんな彼らに女王のように扱われていたのが遊郭・大黒屋の遊女を姉に持つ美登利です。愛らしい顔立ちで気が強く、町内の娘たちからも一目置かれていました。

千束神社の祭礼の8月20日、表町組が「筆屋」で幻燈(スライド)の準備していると、横町組が殴り込みをかけてきました。三五郎は「横町の恥さらしだ」と暴行を受け、美登利も長吉が投げた泥草履で額を汚され、「姉の跡を継ぐ女郎め」と侮辱されました。その言葉は、美登利の胸に深く突き刺さり、学校に行くのを嫌がるようになります。

信如と美登利は同じ学校に通っていました。4月の末に運動会があった時、転んで泥だらけになった信如に、美登利はハンカチを差し出し「これで拭いて」と言います。それが噂になり、信如は気を重くしますが、美登利は気にする様子もありませんでした。

ある日、帰り道で珍しい花を見つけた美登利は、信如に「折ってください」と頼みます。信如は花を取ってくれましたが、そっけない態度に美登利は少し腹を立てました。このようなことが繰り返されるうちに、やがて二人の間には大きな隔たりができていったのです。

雨が降るある日、信如は母に用事を頼まれて、姉の家へ出かけました。しかし、大黒屋の前を通りかかったとき下駄の鼻緒が抜け、転びそうになります。信如は大黒屋の門に傘をかけ、鼻緒を直そうとしますが、うまくいきません。その様子を、美登利は障子越しに眺めていました。

布切れを持って外に出た美登利は、信如だと気付くと、胸が高鳴り、顔を赤く染めます。信如も気づかないふりを続けるものの、冷や汗をかき、はだしで逃げ出したくなるのでした。

声をかけることもできない美登利ですが、母親に呼ばれると、布切れを信如のほうに投げます。信如は落ちた布切れを見て切ない気持ちになりますが、それを拾わず、通りかかった長吉に助けられてその場を去ります。

ある日、髪を島田髷(まげ)に結った美登利は、別人のようになります。町で遊ぶことはなくなり、正太郎たちとも距離を置くようになりました。

ある霜の朝、美登利の家の門の前に、水仙の造花が置かれていました。誰が置いたのか分かりませんが、美登利はなぜか心が引かれ、一輪挿しに入れて飾ります。それは信如が僧侶の修行に出る前日のことでした。